年の瀬です。
このブログで2021年を振り返るにあたって最大のトピックは、「ブログを始めてから10年が経過した」ということでした。
10年も経つとあらゆることが変化していて、過去の記事を顧みるともはや別人が書いているかのような気持ちにさえなって愕然とします。
環境が変化して、価値観が変化して、優先順位が変化して、それぞれが影響し合いながら変化を繰り返して今に至るんだなあなどと考える今日この頃です。
多すぎる仲卸と価値観の違い
「価値観」や「優先順位」ということについて考えるとき、思い出すエピソードがあります。市場の仲卸に初めて入ったときのことです。
豊洲市場の仲卸には、「魚介類」を扱う店舗が500近くも密集しているそうです。通い始めて慣れるまでは、ひと所にそんなにも同業者が軒を連ねる意味がよく分かりませんでした。魚、貝、乾き物などカテゴリごとに専門店があるにしても、20もあれば十分な気がしたからです。
仲卸を見て回るとやはり、そこかしこのお店で"同じ魚"を扱っていました。しかし見ているうちに、少しずつ"違う魚"であることが分かってきます。
例えば同じ金目鯛でも、氷の敷かれた上でピカピカに光り輝くものがあれば、発泡スチロールの上に置かれただけで乾きかけたもの、さらには三枚おろしにされた状態で並んだものがありました。そこまで状態に違いはなくても、お店ごとに少しずつ魚の質とその価格が違っているのです。
それは"いいお店"と"よくないお店"があることを意味するわけではありません。配慮を惜しまず徹底的に手間暇かけて管理して質と値段の高い魚を売るお店があれば、できる限りコストをカットして安く提供することにこだわるお店もあるということです。
並べられているのを見るとやはりピカピカの魚の方が"いい魚"に見えてしまいますが、ちょっとくすんで見える魚も、飲食店が魔法をかけることでより多くのお客さんに笑顔をもたらしているのかもしれない。
そう思うと、魚の質や価格の価値は、お店によって、そのお客さんによって多様でありうるし、人によっては逆転しうるということに気がついたという思い出でした。
ぬるすぎるコーヒーと価値観の違い
ブログやツイッターで僕の食べ歩きを見てくださっている方には、「こいついつも似たようなものばっか食べてるな!」という感想を持たれそうだなと思うことがあります。
ブログとしては飽きさせてしまう内容になってしまっているかもしれませんが、似たようなものばかり食べるのもまた、価値観や優先順位の違いに興味があるからです。
味と見た目と価格、あるいはその他あらゆる要素の何をどの程度優先させるのか。同じ商品を連続して複数の店舗で味わって回ると、その個性がよく見えてきます。
例えばコーヒー。僕は温度を落として抽出してそのまま提供されるものが、甘みや旨みが深く感じられて好みです。好みに合うお店に出会えると、それは嬉しい気持ちでいっぱいになります。
ところが、そのとき隣のテーブルから「何これ!ぬるすぎ!」と言っているのが聞こえてくることも稀でなくあります。
ここで真逆の感想を生んでいるのも、価値観や優先順位の違いです。さらに言えば"いい魚"と"悪い魚"とも違って、ここでは隣のテーブルでピカピカに見えるものと、僕にとってピカピカに見えるものが違っています。
飲食店レビューの「低評価」とは
人によって飲食店の評価が分かれるのも、多くがこういったことに起因しているのだと思っています。
さらに踏み込んで言えば、飲食店には否定されたり批判されたりしなければならない謂れはなくて、「飲食店の提示する価値観に、訪れた客の価値観が合わなかった」ということに尽きるのだと思います。つまり「高評価/低評価」ではなく、「価値観の乖離度」みたいな言葉が適切な気がしてきます。
このブログでは「評価」をしているつもりはなくて、あくまでも「自分で食べたものを振り返るようの記録」を残すものとして書き連ねてきました。
しかし10年続けた結果として、自分でも気づかないうちにまるっきり価値観は変化していて、同じ自分でさえも価値観を共有できていないと「価値観の乖離度」など伝わりようもないのですよね…。
反省としては、紹介するべきは「お店の価値観」、つまり「お店のこだわり」、さらに簡単に言えば「お店のいいところ」なのかなということです。
ブログや書き手の個性なんていうのは、何となく訪問頻度が多い店とか注文頻度の多いメニューといった辺りから伝わればいいのであって、自分の価値観を共有してもらうべく言葉を尽くして徹底的に表現するわけでもないのであれば、中途半端に主観的なことは書くべきではないなあと感じた次第です。
ひと言で言うと「昔のブログ記事を読み返すのはなんでこんなに恥ずかしいんだろう」ということを過剰に掘り下げてみた、みたいな話ではあるのですけど。
未来の自分が今のブログを読み返したときにスッと入ってくるような表現を目指したいものだなあと感じた、ブログ開始から10年を過ぎた年の暮れなのでした。