これから書くのは台風19号が関東上陸した12日に、荒川が氾濫の危機に避難所へ自主避難してみた足立区民の振り返り記録です。
ご存知の通り結果として荒川は氾濫しなかったし、大きなトラブルもありませんでしたが、避難勧告が出たら積極的に避難するべきだな、という結論に至ったので、避難所ってこんな感じ!と知ってもらうべく書き始めました。
長くなりますがよろしくどうぞ。
避難勧告は突然に
10月12日土曜日。
「最強」の台風が関東に上陸するとあって、都心では昼頃から公共交通機関がストップし、イベントの中止や店舗の臨時休業が相次いだ。
僕は普段、休日の日中に家にいることはほとんどないけども、さすがにこの日ばかりは家にこもることに決めていた。
避難勧告を発令しました。
15時。
聞き慣れない警報が鳴って、iPhoneに避難勧告の通知が入る。
ぼくの住む足立区には荒川、隅田川、綾瀬川など多くの河川が走っている。
越してきたときから意識はしていたものの、いざ緊急事態に直面すると「本当にあるのか」と夢でもみているような気持ちになった。
周辺の状況を見ようと外に出たが、あまり人は見かけず、どのくらいの人が避難に動いているのかは見当がつかない。とはいえ「避難勧告」「命に関わる非常事態」だという。避難を決めた。
避難の前にしたことは2つ。
避難所へ持ち込む荷物作りと、浸水に備えて部屋の中の大事なものを高い所へ移動させること。
簡単に済ませたつもりだったものの案外時間はかかって、家を出発したときには16時を回っていた。
行列慣れしていてよかった避難所の受付
16時過ぎに避難場所となっている小学校に到着すると、受付に並ぶ行列で廊下が埋め尽くされていた。
年配の避難者にとっては、ここが最初の難関。濡れた床で転倒する人や、空調がないうえに大混雑する廊下の蒸し暑さに「来るんじゃなかった」「こんな思いをして中に入っても、またどうせ疲れるだけ」と帰ってしまう人を見た。
一方運営側は、自治会、消防団、警察と、恐らくその家族らも手伝っているようで、老若男女揃った結構な人数のスタッフが懸命に避難者を誘導し、手厚くフォローしていた。
ペット同伴者用の教室も
1時間ちょっと並んでようやく受付の番が回って来ようかという、その直前。再びスマホの警報が校舎中に響き渡る。
警戒レベル4相当
せっかく避難してきた身だからか、状況悪化を喜ぶような不思議な空気が広がる。
受付で氏名、住所、性別を書いて人数分のマットと布団を受け取り、2〜4階の教室が開放されていることを教えられた。
隣に並んでいたおばちゃんが「迷子になりそう」というので、一緒に廊下を進み、階段を上がった。「長く住んでいるけど、避難所なんて初めて」と教えてくれた後、布団を3つ抱えて2階に消えていった。「あなたは若者1人?不安よね」と心配してもらった僕は、4階まで上がることにする。若いので。
途中で話をした消防団の方は、こんな規模の避難者が集まってくるのは経験がない、と驚いたように語っていた。「今回の台風は特別大きいからかもしれないけど、みんなの意識もね」と。
先行者利益の洗礼 避難は早く決めるべし
4階の教室を順番に見て回ってみると、どこもビッチリ満員。止むを得ず3階に降りて歩いていると、先ほどのおばちゃんとすれ違った。2階も混んでいるということかもしれない。
結局奥まった廊下に空いているスペースを見つけて、マットを下ろしてセッティング。18〜19時といわれていたピークまで時間があったので、一度自宅へ荷物を取りに帰った(フル充電して備えておいたウォークマンを忘れたのと、親から電話「印鑑と通帳は持った?」とLINEがきたため)。
出たり入ったりは自由のよう。
人が増えるにしたがって傘立ては移動されるので、ビニル傘だとすぐみつからなくなりそう
17時半前に避難所に戻る。
体育館の様子を見に行くとまだガラガラだったが、テレビが2台設置されていることを確認。校内の他の場所にはなかったと思う。
自分のスペースに戻るまでに、声を上げて走り回る子供たちと何度もすれ違った。対して大人は、すでに横になっている人もかなりいる。
自分のスペースに戻ってからは、音楽を聴いたり本を読んだりして過ごした。小学校の廊下の壁に貼られた掲示物というのも、大人になって見ると興味深いものが多かった。
スマホは充電が心配だったが、Twitterを中心に情報収集もした。コンセントは、見える範囲に3箇所あったが、何故か電気が通っているのは1箇所だけ。校舎を歩いてみると、延長コードを使っている避難者も多かったように思う。
台風にガードを固めた横っ腹に地震
窓も何もない3階の廊下だったため、初めは外の状況が全く分からなかったが、18時を過ぎた頃から風の音が聞こえるようになった。
少しすると「水とクラッカーが1人ひとつずつ用意されています」とスタッフの方が回ってきたので、50mくらい離れた場所へ取りに行く。
そんな最中の18時22分、僕は歩いていて気が付かなかったが、周りのざわつきで地震が発生したと知る。
風の音は少し聞こえて、地震の揺れは感じない。災害ってこういうものかなと思いながら自分のマットにもどる。
【利根川・荒川水系 ダム放流か】https://t.co/GZYRKwEmP9
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2019年10月12日
利根川水系のダムと荒川水系のダムでも緊急放流する可能性があると、国土交通省関東地方整備局が会見で発表。下久保ダムでは13日未明の午前1時ごろ、二瀬ダムでは12日の午後8時ごろから放流をする可能性。
この辺りから怒涛のツイートラッシュ。
「荒川ヤバイ」「足立区終わった」「荒川耐えて」「友だち住んでるのに…」
定点カメラの映像や、テレビのキャプが添付された不安を煽るツイートが次々に流れてきて、「うわあ…」と精神的にやられるのだけど、なぜだか見るのをやめられなかった。
【埼玉と栃木の2ダム緊急放流へ】https://t.co/G9GpAhJYji
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2019年10月12日
台風19号による大雨でダムの水位が増えていることを受け、荒川水系の二瀬ダムと利根川水系の川俣ダムで午後10時ごろから緊急放流へ。緊急放流が行われると水位が急激に上昇して、大規模な水害が発生する可能性。
ここからさらにツイートの濁流も勢いを増す。
僕はこの時点で正直浸水を覚悟して、「冷蔵庫もダメになるのかな」「電源コードは全部抜いておくべきだったか」と考え始めた。
"綾瀬川"が氾濫の恐れという不意打ち
21時に係の人が回ってきてアルファ米(=急速乾燥した保存食。水やお湯で戻して食べる)が配られる。
スルーしてしまったけど、尾西食品の「五目ごはん」だったそう。
https://www.onisifoods.co.jp/products/gomoku.html
二瀬ダムの緊急放流が予定される22時が迫ってくる。
Twitterの情報を追いかけている限りでは、緊急放流が行われたら荒川周辺は「おしまい」なのだそう。
河野太郎大臣によると、荒川が氾濫すれば500万人が影響を受けるとのこと。
くわばらくわばら。
「22時まであと〇〇分」という頭で時を過ごしていると、21時半に再びの警報。
荒川ばかり気にしていたら、お隣の綾瀬川がもっとヤバくなっているよう。
ここで初めて校内放送が入って、
「綾瀬川が、氾濫の恐れがあるため、2階以上に避難するよう警告が出ています。そのためこれから体育館に避難している人が2階以上に上がります。スペースは譲り合ってください」
という指示があった。
周囲の人たちとコミュニケーションをとりながら、マットのすき間を詰めてスペースを作った。
結局誰もここには来なかったので、体育館には以外に人がいなかったのかもしれない。
そうこうしているうちに22時だよ、全員集合
はい、来ました今日の山場。
空気もさすがに張り詰めて…と思いきや、周囲は全く様子が変わらず、子どもたちはUNOをして、大人は寝ていたり、「ピークは過ぎたかなあ」の他「うちのダンナがさあ」などといった声が聞こえたりする。
恐らく「22時緊急放流」という情報を持っている人自体少なかったのではないかと思う。
そして22時。
予定されていた緊急放流の時間。
果たして緊急放流の影響が足立区にまで達するのは、どれくらい時間を要するのだろう。
【速報】多摩川が氾濫 東京・世田谷区玉川付近
— テレ朝news (@tv_asahi_news) October 12, 2019
そしてまたしても意外なところからパンチは飛んできて、多摩川氾濫。
濁流の溢れかえった世田谷区の様子がTwitterに流れ始める。
ああ、次は荒川だ。
今に足立区もこうなるんだ。
絶望に満ちたツイートばかりが流れてくるようになったが、荒川が氾濫したという情報は流れて来ず。
そういう写真や映像も然り。
そんな状態のまま1時間が過ぎて、23時になろうかという頃、
「緊急放流は行われていない」
という情報がちらほら流れ始める。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/saitama/20191012/1100006799.html
埼玉県秩父市にある荒川の二瀬ダムについて12日午後10時に緊急放流を始めると発表していましたが、当初の水位の上昇ペースが当初の予想を下回ったとして、緊急放流を見送ることを決めました。
おお…助かったかもしれない…!
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20191010/1000037555.html
しかし、東京港の満潮は13日4時29分と発表されていて、まだまだ予断は許さない状況。
0時を回ったところで「これは長丁場になるかもな」と就寝することにした。
3時に目が覚めると
ぱっと目が覚めると、なんと薄暗い廊下にほとんど人がいなくなっていた。
終点で駅員さんに起こされたときはこんな気持ちなのかもしれないと思いながら、荷物を整理して1階の受付に向かう。
途中廊下や教室をチラッと見た感じだと、まだ半分くらいの避難者は残っていたかもしれない。
受付には数人のスタッフがいて「はい、お疲れさま。マットと布団だけ置いて帰ってください」くらいの軽い感じの対応。
名簿で住所や名前を書いたので、何かしらのチェックがあるのかと思ったが、完全にスルーだった。
せっかくなので「みんな何をきっかけに帰ったんですか?何かしらの警報解除とかあったんですか?」と質問してみると、「みんな外の様子を見て、自己判断ですね」とのこと。
早い人は23時くらいには帰ったという。緊急放流の見送りが決まったくらいのタイミングで、雨も風もそこそこに続いていたはずだ。
河川敷の野球グラウンドが完全に水没している
というわけで晴れて12時間近くに及んだ僕の"避難生活"は終了した。
雑感
まず声を大にして言っておきたいのは、
避難勧告が出たら、積極的に避難してみるべき
ということ。
避難所というものがどういう場所で、どのように入って、どのように過ごすのか。
一度経験しておくだけで、いざ必要に迫られて飛び込まなければならないときの気持ちが違うと思う。
それはもう「行かなくても大丈夫じゃね?」というレベルのときほど、気楽に避難訓練できるんだくらいの気持ちで行ってみるといい気がする。
そしていざ「被災者」になってみると、必要なものや、あると便利なものが見えてきたりもする。
今回、たまたま9月にスマホを新調したばかりだったので、電池に困らなくて大変に助かった。これは冗談抜きで大事なことだなあと最も印象深く心に残った点だった。
ちなみに言うと、SNS関係が使い放題のプランなので、Twitterの情報収集も心おきなくはかどった。
数時間だけだったということもあって、トラブルというトラブルは何もなかった。
ストレスもほとんどなかったように思う。
ただこれが数日続いて、年配の方が同じ姿勢で座っているのがつらくなったり、子どもたちが飽きてきたりすると、ストレスが積み重なっていくような事態になりそうなことも感じた。
意外だったのは、大人が意外と情報収集に消極的なこと。
警報がくるようないわゆる「プッシュ通知」にはしっかり反応するものの、自分から情報を集めて現状を把握しようと努めている人は僕の周りには皆無だった。
そういう意味では、これからの避難所では若者の立ち位置というのも大事になったりするのかも。
というわけで避難所に行ってみるというのは、本当にただただいい経験になった。
次に災害が起きたときにそれこそ今回の経験が強く活きてくると思うし、次回も避難は空振りに終わるとしても、僕は真っ先に避難所に向かって誰よりも早く自分のスペースを確保してやろうとさえもくろんでいる。
以上。