2013年に閉店した「大坊珈琲店」の大坊勝次さんのコーヒーを飲めるイベント「大坊珈琲を味わう会」。
年に2回ほどのペースで目黒の「ふげん社」さんで開催されているそうで、チケット販売開始から1分で売り切れたとも聞く狭き門をくぐり抜けて今回初めて来ることができました。
個人的には、コーヒーを好きになった頃にはもう閉店していた幻の名店というイメージなので、奇跡が起きたような思いで当日を待ちました。
会場に入ると大テーブルが2つ。
5名ずつが相席する形で、自由な位置に着席します。
チケットの中には大坊さんの焙煎豆100gも含まれていました。
ちなみにこのとき大坊さんその方は、大テーブルのいわゆる「お誕生日席」に座ってお客さんと歓談されていました。
そして目の前にはカップとネルが並びます。
お品書きはブレンド3番、4番とお茶請けのサブレの1本。
ブレンドの豆は1種類で、大坊さんのメニューの3番は豆20gの100cc抽出、4番は25g50cc抽出を意味します。
時間になって大坊さんが立ち上がり、"仕事場"に足を踏み入れました。
流れるような手つきではありましたが、お湯の温度を綿密に確認していそう。
そして抽出。
ぽつぽつと降り出して、次第に強まる雨足のようになめらかなリズムの変化でお湯を落とされていました。
足は少しずらして立って、バランスを取っていらっしゃったと思います。
そういえば大坊さんがネルドリップを選んだ理由として「両手がふさがるから、余計なことを考えないでよくなる」と書かれていたのを読んだことがありました。
この日、そのことについて少し質問させていただいたのですけど、「手が遊んでいると他のことを考える余地が生まれてしまう」とおっしゃっていたので、足の位置に関しても意識的に置かれているのではないかとお見受けしました。
ドリップの間は大坊さんも客席側も一切言葉を発さず、全員が一投一投、一滴一滴に集中していたように思います。
ドリップポットの口か、ネルの中か、視線を外さず黙々とお湯を落とし続ける大坊さん。
終わり近くになるとネルをサーバー代わりの片手鍋に近づけます。
お湯を注いでカップを温めたら……
抽出したコーヒーを注ぎます。
ここで客席側にもようやくコーヒーが見えました。
ブレンド3番。
大倉陶園のグレーのカップ。
ブレンドに使った豆はコロンビア、タンザニア、グァテマラ、エチオピアをそれぞれ1:1:1:1とのこと。
甘みが強く出て旨みがじんわり残る。
そしてビターな香りの通底する1杯でした。
ブレンドを作る際はこの1:1:1:1というバランスは基本的に変えず、コロンビアが少し深くなりすぎたときはタンザニアをやや浅めで止める、など焙煎度合いで挑戦するのだそうです。
大坊さんが焙煎度合いを語るときに使う「7.0のポイント」という独特な表現を聞くこともできました。
焙煎が深くなりすぎることを7.0を超えた数字で、浅すぎることをより小さい数字で表すのですけど、焙煎が深すぎる例を「7.1」ではなく「7.01」とおっしゃるところに焙煎の世界の繊細さと、大坊さんのこだわりの強さが垣間見えました。
お茶請けのサブレは銀座ウエストのものだそう。
ごく小さなものが2枚で、「お茶を引き立てるもの」というお茶請け本来の役割を貫徹するような気概が感じられます。
そして2杯目。
大坊さんは4杯、4杯、2杯と3回に分けて10人分のドリップをされていました。
ブレンド4番。
いわゆるデミタスと呼ばれる濃厚なコーヒーです。
大坊さんは会が始まる前から「デミタスカップで濃厚なコーヒーを飲んだことがありますか?」と聞かれていて、こうしたコーヒーが飲まれにくくなっているのではないかと心配なさっているようでした。
とろっと舌に重みを感じる甘さ。
この濃厚なコーヒーを4杯分淹れるのってなかなか大変な作業かと思いますが、ご本人はブレンド3番と変わらぬ様子で淡々とドリップされていて驚きました。
大坊さんが次のコーヒーをドリップするのを見ながら大坊さんのコーヒーをいただく至福な時間。
デミタスカップはすべて持ち手のないお猪口タイプだったかと思いますが、これでちびちび飲み進める感じもまたいいです。
コーヒーをいただくのがメインのイベントと思っていましたが、後半に用意されていた質疑応答タイムも和やかでありつつ緊張感があって刺激的な時間でした。
この会に何度も参加した経験のありそうな質問者の「今日はタンザニアを強く感じました」という趣旨の発言に、大坊さんは「それは苦かったということですか?」と即座に反応。
「逆質問があるんだ……」と和やかだった空気に緊張感が走ります。
目力強く相手の目の奥を見据えながら、短い言葉で問い返されるので、最初はイラッとされているのかと思ったのですけど、その後のやりとりを聞くに「あなたの真意が知りたい」という生真面目さからくる逆質問のようでした。
焦った質問者の方が返答の流れで「今回は美味しく感じました」と言ってしまって、「今回"は"って失礼ですね……!」と慌てて謝罪するシーンがあったのですけど、「乱暴な言葉だからこそ伝わるものがある。乱暴な感想はむしろありがたい」と笑顔で返されていたのが印象的でした。
この場面でその言葉は、質問者としては救われるのかどうか分からないところはありましたが、おっしゃる意味はよく分かってとてもいい言葉だなと感じた次第です。
大坊さんはまた、自身の焙煎について「お前の焙煎は豆本来の味を消している。豆の味ではなく焼いた味だ、とお叱りを受けることがあります」と話されていたので、僕は2番目の質問者として以下の質問をしました。
「お叱りを受けるという話がありましたが、豆本来の味を重視するというのは特に近年強まった傾向に思います。その背景にはスペシャルティコーヒーの登場や、豆の産地のバリエーション、豆の質の管理の向上など、コーヒー業界の環境が変わったことがありそうです。もし今この時代にコーヒー屋さんを始めるなら、豆本来の味を重視するのか、やはり深煎りにするのか。どうすると思いますか?」
※本当はもっとたどたどしく聞いています
大坊さんの答えは「今と同じ」。
瞬時に意図を掴みきれなかった僕の表情を察してくれたのか、「今と同じ味」と繰り返されました。
若干突き放したような短い言葉を投げかけられた僕は、泡を食ったように動揺します。
大坊さんの信念を試すような質問になってしまったか。というかそもそもコーヒーオタク丸出しで質問が長かったか。
そして僕の目をまっすぐに見ていた大坊さんが次に口にしたのは、逆質問でした。
「あなたは浅煎りの豆を、濃く抽出して飲んだことがありますか?」
力なく「な、ないですぅ」と答えた後のやり取りの詳細は覚えていませんが、大坊さんの趣旨は「自分は今焙煎して、今淹れている味のコーヒーが好き。この濃さにして美味しくするにはどうしても深煎りになる」ということだったと思います。
こだわりの強さはときに自分以外の考えを排除しがちですが、浅煎りを好きな人はそれはそれとして否定しない言葉選びで素敵でした。
1番最後に質問した方が「通ではないのでみなさんのような質問はできないのですが、全然違うことを質問させてください。コーヒー以外に好きな飲み物は何ですか?」と聞いていて、どの本にも書いていない、インタビューでも語られていない大坊さんの生の声が聞けたのはその質問だったように思います。
「そういう質問でいいのか!そういう質問がいいのか!」とまた次回に向けて勉強になりました。
気になっている飲み物は「烏龍茶」だそうです。
初めて参加した「大坊珈琲を味わう会」でしたが、コーヒーを味わう会ではなく「大坊珈琲」という世界観や大坊さんの人柄そのものを味わう会だったように思います。
初めて生で見て、語りに触れる機会でしたが、すごくざっくりした印象でいうと「イチローみたいだな」というものでした。
ストイックな求道者、真面目さとユーモアさが生む独特の言葉選び、引退したレジェンドながら生涯現役感、髪型。
なるほど、これは人を惹きつけるわけだと納得に浸りつつ、会場を後にしました。
また来られますように!